札幌ポプラLCの歴史
– チャーターナイト記念アクティビティ
1962年12月 | 札幌ポプラLC結成記念として、札幌アカシヤLC、札幌中央LCと合同で琴似山の手育成園に印刷機を贈呈 |
CN5周年 | ボーイスカウトにキャンプ用テント7張りを贈呈 |
CN10周年 | D51(デゴイチ)形式日本の蒸気機関車を札幌市に贈呈(現在、西区農試公園に展示中)《写真1》 |
CN15周年 | ・北海道赤十字血液センターへ緊急血液輸送車を贈呈 ・十五島公園に時計一式を贈呈 |
CN20周年 | ススキノ交差点に交通安全時計塔を贈呈 |
CN25周年 | 札幌ポプラLC青少年育成奨学金基金を設立 |
CN30周年 | モエレ沼公園にポプラの木70本を植樹モエレ沼公園にポプラの木70本を植樹《写真2》 |
CN35周年 | モエレ沼公園にポプラの木50本を植樹 |
CN40周年 | ・カミネッコン植樹(ナナカマド、ヤチダモ、ヤマザクラの中心木約100本、その周りヤナギ苗700本の合計 800本の木を札幌市内の小学生と母子寡婦連の協力を得て植樹)《写真3・4》 ・いけまぜ夏フェスin古平 約700名以上の夕食のおかず(焼物)6品を全て担当する。 ・音楽療法コンサート「音の水族館」開催 |
CN45周年 | ・西区、五天山総合公園に桜の木45本を植樹《写真5・6・7》 ・ススキノに時計付街路灯寄贈(50周年を兼ねる)《写真8》 |
CN50周年 | ・当別道民の森 神居尻地区「ライオンズの森」に2,000本植樹《写真9・10》 ・須賀川ライオンズクラブ合同アクトとして、須賀川市の中学生30名を招待、北海道の中学生と交流をはかる《写真11》 ・第30回札幌ポプラライオンズクラブ杯少年サッカー大会開催《写真12》 |
CN55周年 | ・五天山公園メンテナンスアクティビティ《写真13》 ・モエレ沼公園に車椅子20台贈呈《写真14》 ・当別道民の森 神居尻地区「ライオンズの森」メンテナンスアクト《写真15・16》 ・第35回札幌ポプラライオンズクラブ杯少年サッカー大会開催 |
CN60周年 | ・カンボジア小学校建設アクティビティ ・こども食堂アクティビティ ・第40回札幌ポプラライオンズクラブ杯少年サッカー大会開催 ・茨戸川緑地育樹アクティビティ |
ライオンズクラブの歴史
◆ 我々ライオンズクラブは世界中いつでも支援します
1917年、メルビン・ジョーンズの招きにより各団体の代表がアメリカ・シカゴで会議を開きました。この会議の唯一の争点は、新しく創設した組織の名前を何にするかということでした。
メルビン・ジョーンズは新しい組織をライオンズと呼んではどうかと提案しました。ライオンは、強さ、勇気、忠誠、生命活動の象徴であるとメルビン・ジョーンズは確信していました。投票の結果他のいくつかの候補を制し、ライオンズの名前が選ばれました。
Lionzの「L,I,O,N,Z」という組み合わせは、自由(LIBERTY)、知性(INTELLIGENCE)、国の安全(OUR NATION’S SAFTY)を表しています。
ライオンズクラブは、現在、世界197の国及び地理的領域に46,000以上のクラブと140万人の会員を擁する世界最大の奉仕団体に成長しました。そして、創設以来地域社会の人々へ奉仕活動を行ってきました。
一人でする社会奉仕活動には、経済的・労力的に限界があります。しかし、同じ志を持った人が集まればその力は大きなものになります。ライオンズクラブは、清掃活動などの地域に密着した活動から、世界的な失明予防、薬物乱用防止、糖尿病教育など遠大なプロジェクトで困難な分野に取り組んでいます。
『他人に尽くすことから始めるのではなければ、人生の大はなし遂げられない』というメルビン・ジョーンズの個人的な信条は世界中の公共心ある人々を導く理念となりました。
◆ ライオンズクラブ創設者 – メルビン・ジョーンズ
1879年1月13日、アメリカ・アリゾナ州フォート・トーマスで、騎兵隊を指揮するアメリカ陸軍大尉の息子としてうまれました。若きメルビン・ジョーンズはイリノイ州シカゴに自らの家を構え、保険会社に勤務したのち、1913年に独立して保険代理店を設立しました。
彼は実業家の昼食会グループ「ビジネス・サークル」に加入し、まもなくその幹事に選ばれました。このグループは、当時アメリカに多数存在した会員の職業活動における利益を高めるためのグループのひとつでした。これらのグループは世論に訴えるものが限られていたため、消えていく運命にありました。
しかし、メルビン・ジョーンズには別の計画がありました。
「意欲、知性、野心によって成功しているこれら会員たちが、その能力を地域社会の向上のために活用したらどうなるだろうか?」こうして、彼の招きに応じてビジネス・クラブの代表が地域社会のための組織を立ち上げるためにシカゴに集まり、1917年6月7日にライオンズクラブが誕生しました。
その後、メルビン・ジョーンズは最終的には保険会社から手を引き、シカゴの国際本部でライオンズクラブに専心することにしました。ライオンズクラブが社会奉仕に熱心な会員を惹きつけられるだけの信望を得ることが出来たのは、彼の力強いリーダーシップによるものです。
協会の創設者であるメルビン・ジョーンズは、協会外部からもリーダーとして認められました。1945年にカリフォルニア州サンフランシスコの国連機関でコンサルタントとしてライオンズクラブ国際協会を紹介してことは、彼にとって最も名誉な経験のひとつとなりました。
◆ ライオンズに影響を与えた偉大な人物 – ヘレンケラー
1988年にアメリカ・アラバマ州タスカンビアに生まれたヘレンケラーは、生後18カ月のときに高熱が原因で視力と聴力を失いました。
パーキンス盲学校の優秀な教師であったアン・マンスフィールド・サリバンの助けで、ヘレンは手話と点字を学びました。数年後、ヘレンは話すことができるようになりました。大人になった彼女は障害を持つ人々の精力的な擁護者となりました。
1925年にヘレンは、第9回ライオンズクラブ国際大会にゲストスピーカーとして参加し『ライオンズよ!闇を開く十字軍の騎士となれ』と呼びかけました。以来、眼の不自由な人を助け、眼を守る運動はライオンズクラブの奉仕活動の大きな柱となっております。
◆ 国際親善と理解
言葉の相違が壁となって、国際理解は不可能に思われがちですが、国際理解と友情(又は親善)は、言葉ではなく、心の問題です。
世界各地のライオンズクラブが、世界中の人々の間で相互理解の精神を培い育成するような事業を行って、他国のライオンズクラブと交流しています。
◆ ライオンズのスローガン・モット-
Liberty Intelligence Our Nation’s Safety
(自由を守り 知性を重んじ われわれの国の安全をはかる)
We Serve
(われわれは奉仕する)
◆ ライオンズの誓い
われわれは知性を高め 友情と相互理解の精神を養い
平和と自由を守り 社会奉仕に精進する
◆ 会員資格
(クラブ会則、第3条より抜粋)
1項:善良な特性の持ち主で、地域社会において声望のある人は、付則第1条の規定に従い、本クラブの会員になる資格がある。
2項:本クラブの会員資格の獲得は招請のみにより(会員の推薦を要す。)、理事会の承認後、例会にて正式に認められる。